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透析家族の嫌われる勇気

旧ブログ名 透析生活日々徒然介護録あらためました。通院透析施設情報はブログ公開禁止命令署名要求をのみました、踏み絵を踏んだ透析家族の介護録です。

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母の聖書を携えて

透析ママの告別式から、およそ3ヶ月経過しました。

その告別式をしていただいたバプテスト教会に、昨日、聖書のお勉強に出向きました。

牧師様がお誘いくださいました。
どうか、お母さまの聖書をお持ちになって、と。

母の聖書は、かなりの年季物です。
しかも、

重い。

晩年の母なら、重たいわー(♯`∧´)なんて、渋い顔をしたでしょうね。
きのう印象に残った牧師様のお話の中のひとつ。

人は、死にむかって放物線を描いて、ピークを超えれば下降していくのではなく、上昇していくということ。
みなさん、頭の中に、天空にあがっていく飛行線を描いてみてくださいな。

見送った方のことを悲しんで涙を流したあとは、一呼吸おいて空を見てください。

空は、どこまでも空です。
自由です。

見送った人たちは自由に過ごしているのだと思うと、なんだかうれしくなりませんか?
苦痛から解き放たれて。
しがらみからも逃れて。
わたしは、ずいぶんと以前に、このことをぼんやりと感じました。
牧師様に母の葬儀の前後で、お祈りをしていただき、お話をきいていただいたことで、早くからそんな気持ちになれていたと思います。
いつも、そばにいた母がいなくなったこと。
姿もなく、会話もできず、食事の用意をすることもなく、お洋服を選んであげることも、病院への送迎もなく、生活はガラリと変わりました。
それでも、いまも、母はそばにいるような不思議な感じなのです。
しかも、やりたいように、やりたいことだけしていてニコニコ機嫌の良い母の姿なのです。

ただ、ひとりで出かけて、母の好物を見たときなどは、じんわりとこみ上げることもあります。
でも、悲しい涙ではありません。
いえいえ、悲しみの涙だって良いのです。
泣くのを我慢するより、泣くことの方が、ずっといいのです。

グッドドクター風に言うなら

泣くことで脳内ホルモンのエルドルファンが分泌され. 心が癒されます。

きのう、勉強をした聖書の中のヤコブの福音。
母の聖書のボーダーライン。
ここを読んだとき、腑に落ちる母の振る舞いがありました。
母は、わけ隔てなく誰にも親切でした。

どうして、あんな人に?と、わたしが思えるようなひとにも自分が出来ることをしていました。
こういうことだったのねと、納得した一節です。

ヤコブの手紙 第一章
27
父なる神のみまえに清く穢れのない信心とは、
困っている孤児や、やもめを見舞い
自らは世の穢れに染まずに、
身を清く保つことにほかならない

このことを教会の皆様にお伝えすると、こころから母のことを称えてくださいました。
娘として母親のことを、誉めていただくことほど大きな喜びはありません。
素直に涙が頬をつたいます。
母の娘であることに感謝の気持ちがこみあげます。

これからも、母の聖書を携えて礼拝に行きたいと思いました。
母が結んでくれた牧師様と信徒の皆様とのご縁を大事にしたいです。

が、まだまだ信仰は告白できないので、パンもワインも受け取れません。
このことを強要されず、見守ってくださるのもありがたいです。
何においてもハードルの高い設定は、心を閉ざします。

いま、私が向き合っている精神や身体の障害のある方たちとの交流のヒントにもなる、教会での学びでした。
聖書は心理学や哲学の教科書にもなるのでは?と感じています。

もうすこし聖書に触れたら、お世話になったクリスチャンドクターに報告します。
その頃には、トンデモドクターを許せる私になっていますかどうか?
焦りません。

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